動物たちが人間の倫理とは違う感覚で生活していることがわかる場面も随所に出てきます。
中でも印象に残ったのがスカンクのジミーとピーターうさぎの会話シーン。ボブの奥さんが大切に温めている卵を失敬しようとするジミーをピーターは非難しますが、スカンクは悪びれることなく次のようにこたえます。
「そうむきになっちゃ こまるな、ピーター。ボブのかみさんは、ずいぶんたくさん、たまごをうむってはなしじゃないか。一つや二つ なくたって、へいきだろうが。」
「ジミー、あんたって、ひどいな、そんなつもりだったのか。」
と、ピーターはいいました。
「おれのわる口は、やめてもらいたいな。おれはうまれつき、たまごがすきなんだ。きつねが、うさぎをすきなようにな。(以下略)」
結果的に人間臭く見えることがあっても、動物はあくまでも動物であるというアニマル・ブックスのスタンスが「うずらのボブのぼうけん」を読むことで自然とわかるのです。
後半では一羽のヒナがトラブルに巻き込まれることによって起こる、農場の男の子トムとボブ一家の交流が描かれます。交流といってもお互いの意思が通じるようになるわけではありません。ウズラの食性の結果、畑の雑草や害虫が退治され、それに感謝した農場の人間との間に共生の形ができるということです。 ボブ一家と触れ合うことによって
とりなんて、とってたべるよりほかに、やくにたたない ばかなもん
だと思っていたトム少年も勉強の大切さや生き物の命が平等であることを学びます。
子どもの頃は特に深読みをしていたわけではなく、単純に動物達が主人公の面白い話として楽しんでいたのですが、読み返してみると人生の指針となりそうな文章もちょくちょく出てきて興味深かったです。
とりや、けものの子どもたちも、みなさんとおなじように、がっこうにいきます。それはとてもむずかしいがっこうで、「よのなか」というがっこうです。そこで、とりや、けものの子どもたちは、いきていくには、どうすればいいのかとか、じぶんをまもるには、どうすればいいかということを、べんきょうします。
人間も動物も世の中の荒波に揉まれてこそ生きて行く力をつけられる。なにやらバージェス先生にやさしく諭されているような気分になりました。
ところで「うずらのボブのぼうけん」の原題は「The Adventures Bobby White」です。なぜウズラにだけ他の動物にはついていない苗字がついているのかが気になってちょっと調べてみたところ、ボブのモデルになっているのはコリンウズラという種類らしく、その英名がBobwhite Quailだということがわかりました。鳴き声がBob-whiteと聞こえるのが由来だそうです。
更にマーガレット・A・ステンジャー作「うずらのロバート」という本が出ていることも知りました。ロバートの短縮系はボブですので、アメリカ人にとってウズラの名前がボブになることはなかばお約束なのかもしれません。