「うん、そう すれば、じぶんで えさを さがして たべる。おなか いっぱい たべられる。」
そう思ったごろうくんは、フクロウをカゴから出すと扉を閉めてしまいます。
いつものように帰ってくるフクロウ。でも、もう住み慣れたカゴには戻れません。近くの木にとまったフクロウの鳴き声は「ごろう ほうほう」と、まるでごろうくんに呼びかけているようにも聞こえます。
かごの とは、しっかりと しまって いました。
木の えだの くろい ふくろう。
「ごろう ほうほう。ごろう ほうほう。」
まだ ふくろうは、そこから とんで いきません。
(おわり)
寂しい終わり方なのでそれほど好きな本ではなかったのですが、このしんみりとした余韻には幼いながら惹かれるものがありました。
「あらいぐまラスカル」的な結末のこのお話は実話に発想を得たとあとがきに書かれています。
五、六年まえ、東京で発行される一流新聞で、山陰地方のある町の小学生が、近くの山でフクロウの子を拾い、苦労して育てたという話のタネを読んだことがありました。みじかい記事でありましたがわたくしの記憶にそれがのこりました。そこで、じぶんの空想をまた持ちだして、この作品を書いてみました。
ざっと調べただけですが現在発売されているいくつかの浜田広介作品集の中に「ごろうくんとふくろう」を見つけることはできませんでした。設定が現代の上に実話が元になっているお話というのは浜田作品の中では異色だからかもしれません。
この本は父親に買ってもらったものでした。父は昭和40年代には珍しくない、子育てに関しては母親に任せっきりという人だったので、たまたま本を買い与えるという状況になっても息子がどんな本を喜ぶのかわからず、だんだん面倒臭くなってきたのでしょう。「これでいいだろう?」と勧めてきたのが「ごろうくんとふくろう」でした。一方の子どもも父親とは接し慣れていないのであまり興味を引かれない本でも空気を読んで「それでいい」と返事をします。そんな経緯もこの本があまり好きではなかったことに影響しているかもしれません。
父に買ってもらった数少ない絵本というとなにやら感動的なエピソードを秘めていそうなものですが、実際はこんなものです。
浜田作品とは関係ないと思いますが後年、中学生か高校生の頃「ごろうくんとふくろう」に似たお話の本を読みました。題名や細かい内容は覚えていません。確か実話で、フクロウのエサとして鶏頭の缶詰(水煮)というものが存在することを知って感心した記憶だけが残っています。