お父さんが船長を務める最新式の貨物船に乗っていた小学6年生の順は嵐にあって遭難してしまいます。
なんとか3人の船員と無人島にたどり着いたものの、ほどなくひとりが脱出時のケガが元で、もうひとりが精神的に参ってしまったことが原因で命を落としてしまい、順が頼れる大人は船でコックを勤めていた木村さんだけになってしまいました。
悪いことは重なり、やがてその木村さんまでもが重い病に倒れてしまいます。順は完全には沈んでいなかった貨物船の残骸の中で必死に薬を探しましたが見つかりませんでした。
がっかりしてまたボートにのり、砂浜へもどった順は、洞穴のまえで立ちすくみ、そしてすぐにひざまずき、やがて大声で泣きはじめた。
順をはげましつづけてくれたコックの木村さんは、洞穴からはいだし、そこで死んでいたのだ。
挿絵もたくさんあって、3・4年生くらいからの読者を想定しているような本のわりにはかなり厳しい描写が続きます。友達や家族と力を合わせて困難を乗り越えていくというのが子ども向け無人島ものの定番と思われる中、タイトルからしてひとりぼっちになってしまうのはわかっていても、ここまでハードな展開だったかしらとちょっと驚いてしまいました。
順が見つけたのは世界初の、家庭で組み立てることのできるロボット製作キットでした。
危険はほとんどなく十年も動きつづける小型原子炉が胴体にはいっており、そのそばにある超小型原子力発電機のだすエネルギーでロボットは動く。いちばんたいせつなのは電子頭脳で胸のところにはいっており、これは超小型電子計算機で、すでに百科事典ぐらいの知識をおぼえさせてある。あたまのところに目や耳や口があり、主人と話が自由にできる。
もっとも家庭用とはいえ大人が1日8時間のペースで取り組んだとしても完成までに2、3週間は要するとされている代物です。順が3ヶ月以上を費やして組み立てに挑戦した4体のロボットはひとつとして動いてくれませんでした。
船から持ち出すことのできたキットが最後のひとつになってしまったところで順は、組み立てる時はほこりのないところでという注意書きにようやく気づきます。急いで失敗したロボットの部品を調べてみると、どれも細かい砂ぼこりがついていました。
はじめのころのには、さかなのうろこがついているのまであった。
魚を調理した時にウロコが飛び散ったのかもしれません。この描写に当時はリアリティを感じ、わくわくしたことを覚えています。電動式のプラモデルがうまく動いてくれない経験もよくしていましたので、説明書通りに作ったはずなのにロボットが起動してくれなくてがっかりする場面にも大いに共感していたことでしょう。
「ソウデスネ、デモ ホカニスルコトガ ナニモナイカラデショウ? アッハッハ」
とこたえるユーモアさえ持っています。
挿絵で描かれているフライデーは映画「禁断の惑星」に出てくるロボットのロビーを彷彿とさせる姿をしています。このメカメカしい重量感のある外見と、優れた機能を持っていながら話し言葉は片言っぽく、ちょっとドジな面があったりする点は当時のアシスタント的な働きをするロボットに求められていたものだったような気がします。
小型電卓や電子ブロックのCMがテレビを賑わせていた時代の小学生にとって、プラモデル感覚で作ることの出来るロボットキットは早く実現してほしいものでした。
それから約半世紀。AIの進歩を考えるとあと50年くらい待てばなんとかなりそうな気もしますが、どうなることでしょうか。
帰国してからの生活が落ち着いた頃、フライデーはひっそりと順の家を出ていきました。自分とばかり遊んでいては順の成長の妨げになると判断したからです。
作者のあとがきには、フライデーのこの行動はロボット小説の大家、アイザック・アシモフが考え出した「ロボット工学の三原則」に基づくものであると書かれています。
ロボット三原則については石ノ森章太郎の「人造人間キカイダー」という漫画に出てきたので知っていました。当時はまだアシモフの作品に触れていなかったものの,こうして他作品で引用されるような原則を考え出した人なんだと子どもながらその影響力の大きさに感心したものです。
主人の元を離れて野良ロボットになったフライデーはその後どうなってしまうのでしょうか。物語は次のような形で終わっています。
フライデーはひょっとしたら、あの無人島にもどって、順が組み立てそこなった四台のロボットを組み立てなおし、そのロボットたちとなかよくくらそうとでも思ったのかもしれない? 順はいつかまた、フライデーとあえるのだろうか? それは神さまだけがごぞんじのことなのだ。