ごく幼少期には面倒をみてもらい、それなりに遊んでもらった記憶もあるのですが、10代から20代にかけてはお互いほとんど口をききませんでした。特に仲が悪かったわけではなく、単にふたりとも相手への関心が薄かったのだと思います。その状況をそれほど変なことだとは感じず、むしろ普通に会話を交わしている姉弟や兄妹を見ると不思議な気がしていたくらいでした。
母親から「あんたたちは本当に話をしないねぇ」と言われた時には、顔を見合わせて「特に話したいこともないし」と同じ反応をしていたあたり、似た者同士というか変な部分で気は合っていたのかもしれません。
姉はどちらかというと現実的で、おままごとやお人形遊びをするにしても淡白だったそうです。片や弟は母親の裁縫道具や食卓のアジシオの瓶ですら適当なキャラクターに仕立て上げては一人遊びに熱中するような子どもでした。おかげで姉のバービー人形はいつのまにか弟に奪われ、日々ソフビの怪獣と戦うはめになってしまいました。
ちなみに当時のバービーの顔つきはリカちゃんなどと比べるときつめに感じられたため、怪獣と戦わされる時は「悪い星人」役をあてがわれ毎回頭や手足をもがれるという理不尽な目にあっていました。
そんな性格の違いもあってかふたりの交流は年と共に薄くなっていきました。
中学進学を控えて部屋の掃除をしていた姉が本を処分しようと玄関先に出しているのに気づいた時は「いらないものなら欲しいな」と思ったものの、既に素直に「ちょうだい」とは言えない関係になっていました。当時の姉は思春期に差しかかっていたためか攻撃的な所があったので、なにがしかのアプローチをしただけで文句をつけられそうな気がしてびびっていた面もあります。
最終的には母親に「もらってもいいよね」と聞いて逃げ道を作っておいてからこっそり自分の部屋に持ち込みました。これが「姉から譲り受けた本」の真相です。
回復した後で戦車のプラモデルを買ってもらいました。お誕生日など特別なイベントで買ってもらえるような大きなもので、当時は「風邪をひいただけなのになんでだろう?」と不思議に感じていました。今にして思えば肺炎という診断が下された時点で最悪の事態が親の頭をよぎったであろうことは容易に想像できます。「よくがんばって治ってくれた」という気持ちがちょっと高価なプラモデルという形になってあらわれたのでしょう。ありがたいことです。
寝込んでいる最中には姉からの差し入れもありました。一つ屋根の下で弟が1週間もゼイゼイいっていたわけですから不安だったでしょうし、なにかしてあげたくなる気持ちになったであろうこともわかります。
とはいえ細菌性の肺炎だとうつる危険性もあるのであまり近寄らないように注意されていたのだと思います。姉は寝ている間の退屈しのぎになるようにと買ってもらったばかりのラジカセに「くまのパディントン」の朗読を吹き込んで枕元に置いていってくれました。
あまり話をしなくなっていましたし、自分が重い病気だという自覚もなかったので姉のハートウォーミングな行為は唐突に思え、どう反応していいものやら戸惑いました。「早く良くなってね」「ありがとう」というような簡単な会話すらお互い照れ臭くて交わさなかったと思います。
それでも何十年も前の出来事を、録音された姉の声色と共に今でも覚えているということは、きっと嬉しかったのでしょう。
もっとも素人の、しかも小学生の朗読はところどころ聞き取りづらく「自分で読んだ方がいいなぁ」と思ったことは内緒です。