それで おけやさんは、おなかに ちからが はいらなくて、
おけを つくれなくなってしまいました。
「うん」と ちからを いれると、「すん」と ぬけてしまうのです。
かみなりは毎日のように飛び降り、瀬戸物屋さんから牛まで、おへそを取られたものはみんな力が出なくなってしまうのでした。
こうしたかみなりの被害を食い止めようとお寺の和尚さんは五重の塔のてっぺんに古い槍を立てました。この策は見事にはまり、お寺に飛び降りたかみなりはトラ皮のパンツが槍にひっかかって身動きがとれなくなります。
子どもの頃は大して気に留めていませんでしたが、大人の目で読むと避雷針というシステムがうまく物語に組み込まれているんだなと感心させられました。
また、昔話風ではあるもののパンツは「ぱんつ」と書かれているあたりも面白かったです。
「もう、けっして いたずらは いたしません。
でも、おへそは、わたしの だいこうぶつです。
おへそを たべないと、あめを ふらすことが できません。」
「それは、こまったな。」
考えを巡らせていた和尚さんははたと思いつき、村人にお餅をつかせると、それで山のように「へそもち」を作りました。
「こうれ、かみなりや、へそもちが できたから、これを おたべ」
かごに入ったへそもちが大きな凧で塔の上に運ばれると、かみなりはその凧に乗って黒雲まで帰っていきました。
解決方法がとても優しく、結果的にお土産をもらって帰るような感じになったかみなりが可愛らしく思えるお話で、中に何か具が入っているのか、どんな味がするのか一切明かされない謎の食べ物「へそもち」にも憧れたものです。
ところで、日本ではかみなりはおへそを取っていく存在として知られています。この噂が広まった原因として諸説ある中では、かみなりが鳴る時は大気が不安定になり気温も急に下がったりするので、小さな子どもがお腹を冷やさないよう「おへそをとられちゃうよ」といってちゃんとしまわせるようにさせたからだとする説が素直に納得できて好きです。