長くなってしまいましたので2回に分けました。
違和感の第一はピーター・ダックという老水夫が子どもたちと航海を共にすることでした。ピーター・ダックの名前は前作「ツバメの谷」でも頻繁に出てきてはいました。しかし実在の人物としてではありません。
ピーター・ダックは、ウォーカーの子どもたちが、ナンシイやペギイやフリント船長と、屋形船で冬休みをすごしたとき、毎晩つくった物語の中の、もっとも重要な人物だった。
(「ツバメの谷」より)
その架空の人物と同じ名前の老水夫と出会ったというのに子どもたちがなんの反応も示さないまま初対面のように振舞っている様子が理解できませんでした。
「ヤマネコ号の冒険」はアーサー・ランサム全集の3巻目だけれど時間の流れとしては第2巻の「ツバメの谷」より前の物語なのだろうか。そうだとしてもピーター・ダックはなぜ空想上の人物とされていたのだろうか。
いろいろ考えてみても混乱するばかりでした。
ヤマネコ号はならず者が大昔に埋めたという宝を見つけるために何日もかけてカリブ海近くの無人島を目指します。帆船で大西洋を横断するという大冒険に違和感は更に増していきました。
ヤマネコ号に同乗している大人はアマゾン海賊を名乗るナンシイとペギイのおじさんであるフリント船長とピーター・ダックのふたりだけです。これまでの作品で子どもたちのキャンプに理解を示しながらも危険なことがないように最大限の注意を払ってきたお母さんたちがこんな旅を許すとは到底思えませんでした。
作者アーサー・ランサムの研究者やツバメ号とアマゾン号のシリーズを愛する読者の多くは「ヤマネコ号の冒険」を子どもたちが作った物語、作中作のようなものと位置付けています。
自分も今ではピーター・ダックに一番思い入れの強かったウォーカー家の次女のティティが大人になってから書いた作品だと考えています。ただ本編の中ではそのあたりの種明かしが一切ありませんので、子どもの頃はずっともやもやを抱えていました。
フリント船長と子どもたちが宝掘りに精を出している間にヤマネコ号に乗り込んできたブラック・ジェイクとその一味が船に残っていたピーター・ダックを殴り倒し、途中から船員となったビルという少年を甲板室に叩きつけて歯を折ってしまうという、海洋冒険小説らしい荒っぽい場面もあります。
ビルはとつぜん、じぶんが、ほとんどじぶんのものとは思われない、あらんかぎりの声で絶叫しているのに気がついた。
「ほえるのか? いま療治してやるからな。」ブラック・ジェイクは手近にあった石けんの大きなかたまりをとりあげると、それをビルの口の中に押しこんだので、ビルはほとんど息がつまってしまった。
暴力の被害を受けるのは「ヤマネコ号の冒険」のみに出てくる人々だけで、子どもたちやフリント船長にまでは及びません。いくら作中作とはいえ前作で生き生きと活躍していた彼らをひどい目に遭わせるのは作者も忍びなっかたのでしょう。
子どもたちを本当にいそうな存在として受け入れていた自分にしてみればジョンやナンシイが苦痛に顔を歪める様など見たくもありませんでしたので、作者にどうゆう意図があったにせよ彼らに害が及ばなかったのは本当に良かったです。