また題名になんとなくの違和感を覚え、なんでだろうと考えた結果その原因が「恐龍」という表記にあるのだと気づきました。ふつう「きょうりゅう」の漢字表記は「恐竜」で「恐龍」と書かれることはほとんどないからです。
低学年向けなので「恐龍」にはカナがふられています。そのため子どもの時には特に気にならなかったのでしょう。
作者が漫画家でありながら豊富な挿絵は本人ではないというのもちょっと面白いと感じた点です。
コトリンコン。
「ドキントロプス。ビクリンコー。」
ピテカンはもう、ほんとにビクリンコーとしてしまって、口をパクリンコーとあけたままそのものを見つめた。なぜってそのものが、コトリンコンとうごいたように思えたからだ。
なにか仕掛けがしてあるのかと思ってピテカンが抱き上げた卵は温かくすらありました。
そして、その中で、なにかがゴソッとうごいたのだ。
「ムックシャバキルヘンマンマンネー、タンツクトテバトツタコンター。」
あまりにもびっくりしたピテカンは思わず卵を抱えたまま博物館を飛び出してしまいました。
擬音をちりばめたような文章は漫画家らしくユニークで、どんなストーリーだったかは忘れてしまっていてもこの不思議な文体が結構気に入っていた記憶は残っていました。
「ムックシャバキルヘンマンマンネー~」のような表現は興奮度マックスで発せられる言葉にならない言葉といったところでしょうか。ネットスラングの「くぁwせdrftgyふじこlp」みたいなものです。
驚愕の事態に直面したピテカンのおとうさんとおかあさんは息子が博物館から無断で卵を持ってきてしまったという負い目もあり、なぜこんな現象が起きたのかはっきりするまで恐竜の子どもをこっそり飼うことにしました。
ポチと名付けられた恐竜はどんどん大きくなり、さすがに団地の4階では隠して飼い続けられないと思ったピテカン一家は夏休みの間、湖のほとりでテント生活をすることに決めました。そこならば大きくなったポチも人目につかず、夜ならば湖で自由に泳げるからです。
ポチは湖が気に入りましたが、やがて大きくなったその姿が目撃されるようになり、恐竜を見ようとたくさんの人が湖に押しかける事態となってしまいました。
ピテカン一家はポチとお別れし、この時代から恐竜はいなくなりました。湖に押しかけていた人々も恐竜の姿が見えないとなると元の生活へと戻っていきました。
ことの真相を知っているのはピテカン一家だけです。しかしポチの存在は人々の心にある感情を残していきました。
それは恐竜が歩き回っていた時代の豊かな自然への憧憬でした。
そのことに気がついたとき、人々はギクリンコーとした。そして、だれがおんどをとったわけでもないのに、あの大運動が、世界じゅうでおこったのである。
「大恐龍運動ピテカン作戦」
金はもうけずに、しばらくほっておこう。それより、木をうえようではないか。それがこの運動であり、作戦であった。
公害が子どもたちの生活にも暗い影を落としていた時代らしいオチです。そして文明を離れた牧歌的生活を謳歌するギャートルズの世界に通じるものも感じられました。