――へんだな、とおもう。わからないなあ。と、くびをひねる。
でも、こたえはすぐにでてくる。
まず、おかあさんが、おしえてくれる。おとうさんも、おしえてくれる。
テレビも、おしえてくれる。ラジオも、こたえてくれる。
べんりな ほんもある。
ああ、まったく べんりだ。
ちょっと、へんなことにきがつくと、すぐにこたえがでてくる。かんがえる時間は、みじかい。みんな、しんせつで、なにからなにまで、ほんとうにべんりにできている。
小宮山は「目をさませトラゴロウ」という作品には誰に聞いても簡単には答えの出てこない変なことがたくさん書かれているので子どもたちはとにかく自分で考え始めるだろうと続けます。
じぶんでかんがえたこたえをみつけたこどもたちは、ほんとうに、きらりきらり目をかがやかせてるだろう。それから、にっこりわらうだろう。
ネットを通じて大した苦労もなく情報が得られることに対してありがたいと思う反面、何か大切なものを退化させてしまうのではないかという漠然とした不安もあります。
しかしそんな大人も、半世紀前には似たような心配をされていたことがこのあとがきからわかります。情報入手の手段に苦労があろうがなかろうが、自分で考えるということを放棄しない限り人間は大丈夫なんじゃないでしょうか。
まぁ「世の中なるようにしかならない」と考えるタイプの自分が立派な大人に育ったのかどうかは別問題、ということで。