医学博士のジョン・ドリトル先生は生き物が大好きでたくさんの動物を飼っていました。ところがあまりに動物が増え過ぎたために人間の患者さんが来なくなってしまい、餌代もバカにならないため、すっかり貧乏になってしまいます。そこで一緒に暮らしているオウムのポリネシアが獣医に転向することを勧め、動物語を教えてくれました。これが動物と会話できるドリトル先生誕生の経緯です。
ドリトル先生が動物と話せる能力は生来のものとなんとなく思い込んでいたので、すっかり忘れていたこの設定は新鮮でした。
一番驚いたのは訳者が井伏鱒二だということです。ドリトル先生と井伏という接点のなさそうな二者が翻訳という形で結びついていたとはちっとも知りませんでした。作者に関心の薄かった小学生時代のこと、ましてや訳者に興味など持つはずもなく、当然といえば当然のことです。
日本での初版が太平洋戦争に突入した昭和16年だったことにもびっくりしました。どうゆうタイプのびっくりかというと「火垂るの墓」の主人公がドリトル先生を読んでいた可能性もあったことに気づいて胸がざわつく感じです。うまく説明できていないと思いますが。
しおり用のヒモにも発見がありました。当時の本には函と同様、大抵ヒモがついていたものの「ドリトル先生アフリカゆき」のようにそれが2本ついている本にはお目にかかったことがありませんでした。ダークレッドと白に色分けされているので間違って2本ついてしまったというわけでもなさそうです。
実は「ドリトル先生アフリカゆき」は全244ページの内、本編は178ページで終わり、残りの三分の一程度があとがきやシリーズの他の巻の紹介という変わった構成になっています。2部に別れているのでヒモを増やしたのだろうかと想像もしましたが、あとがきなどのない2巻目以降の本にもヒモは2本ついていました。
謎です。
お魚をたべないという約束をしますから、庭のすみの池においてくださいませんか
翻訳の妙といっていいでしょう。
ところが先生がワニにサーカスへ帰るよう勧めるくだりでは逆に文章の意味がつかめなくなって混乱してしまいます。
すると、ワニは、とてもおおつぶなそら涙をこぼして、どうぞここにいさせてください、といっしょけんめいにたのみました。先生は、それでも追い出すというわけにはゆきませんでした。
「そら涙」=「ウソ泣き」という認識だったので、なぜこの場で先生を騙すような態度をとるのかが理解できなかったのです。これがこのシーンが記憶に残ることになったもうひとつの理由です。
「そら涙」には注釈がついていて
むかし、ナイル川にすむワニが、エジプト人の子どもをさらってたべながら、「かわいそうに。」と、ボロボロ涙をこぼしたそうです。そこで、ワニの涙は、そら涙ということになりました。
と書かれているのですが理解の手助けにはなりませんでした。
今回読み返してみてもこの部分はどうにも納得がいかなかったので少し調べてみることにしました。
原文は次の通りで、自分の英語力では「そら涙」の要素を見出すことはできません。
But he wept such big tears, and begged so hard to be allowed to stay, that the Doctor hadn’t the heart to turn him out.
ポプラポケット文庫から出ている「ドリトル先生」(翻訳 小林みき)では
するとワニは涙をぽろぽろこぼしながら、「おねがいですからここにいさせてください」といいました。先生はワニがかわいそうになって、それ以上はいえませんでした。
と訳されていることがわかり、ようやく子どもの時に感じた当惑は妥当なものだったのだろうという変な安心を覚えた次第です。
時代と共に社会の考え方は変わります。王様が白人を敵対視するのは当然のことのように思えますし、王子の純情を利用するようなやり方は今やあまりほめられるものではありません。この黒人を軽視するような描写もあって、1970年代のアメリカでドリトル先生シリーズは絶版だったそうです。
1998年のハリウッド映画「ドクター・ドリトル」でドリトル先生を演じたのはエディ・マーフィーでした。ドリトル先生というとシルクハットの小太りのおじさんというイメージがあったので、黒人俳優とはずいぶん大胆なキャスティングだなと当時は思いました。もしかすると70年代の悪いイメージを払拭させたい意図があったのかもしれません。
ちなみに2020年に公開される新作映画でドリトル先生を演じるのは「アイアンマン」でおなじみのロバート・ダウニー・Jr.だそうです。