ドラがいちばん年長で女の子。そのつぎが、男の子のオズワルド。それから、同じく男の子のディッキー。(中略)つぎの女の子アリスと男の子ノエルはふたごで、十歳。いちばん下がホレス・オクテイビアビスという男の子です。
子どもたちがお金を稼ぎたいと思うようになった理由は、由緒あるバスタブル家が経済的に傾いてしまったためでした。学校に行けなくなり、たくさんいたお手伝いさんもたったひとりになってしまいました。おまけにおやつの質までも落ちてしまったのですから、子どもにとっても大問題だったのです。
もっとも早くにお母さんを失っていたバスタブル家の子どもたちが一番辛く感じていたのは、家を立て直そうと奔走するお父さんが留守がちになってしまったことでした。お金さえあれば様々な問題が解決し、お父さんにも自分たちと過ごす時間が増えるという考えがお金稼ぎ計画の元にあったのです。
子どもたちの企てるお金儲けの手段は自分たちで新聞を作ってみたり、山賊になりきって近所の子をさらってみたり、あるいは新聞広告でみつけた怪しげな商品を仕入れて他の人に売ってみたりと多岐に渡ります。もちろんどの試みも大金を得られるようなことにはなりません。お父さんの助けになりたいという健気な姿勢に心を動かされた大人が少しばかりのおこずかいをくれるのがせいぜいです。
小学校の高学年くらいで読んだ時は年長の子たちにもう少し大人の発想をして欲しい気がして、彼らの無邪気さにはあまり共感できませんでした。
年齢が近かった分、今でこそ可愛く思える子どもたちの行動に対して批判的な目になってしまったのだと思います。
「ねえ、ねえ、あたしはいっしょうけんめいしてるのよ。ほんとうよ。だって、おかあさんが亡くなるとき、おっしゃったわ。『ドラ、どうかほかの子たちのめんどうをみてやって、いい子になるように教えてやってちょうだいね。ものごとにまきこまれないように、みんなをしあわせにしてやってね』って。おかあさんは『ドラ、おねがいだから、おかあさんがわりになって、みんなの世話をしてあげてね』っておっしゃったわ。だから、あたしはいつもいっしょうけんめいやってきたのよ。だのに、あんたたちみんなに、あたしはきらわれている。きょうだって、最初から、ばかばかしいことだってわかっていたけど、あんたたちにさせてあげたじゃないの。」
年と共にこの手のお話にはすっかり弱くなってしまいました。
それにしてもお母さんもまだ子どものドラにずいぶん重いお願いを残したものです。なんとなくアニメの「わたしのアンネット」を思い出してしまいました。
さまざまなお金儲けを画策する子どもたちがいやらしく見えないのは、その根底にあるものが家の助けになりたいという純粋なものだからです。
失敗を重ねながらも、紳士淑女として正しくありたいと思い続けて行動した結果、ちょっとした勘違いが好転して物語はハッピーエンドを迎えます。
ネズビットといえば、高校生の時にサミアドという妖精と子どもたちの交流を描いた「砂の妖精」という文庫本をたまたま手にし、読み終わってから作者が「宝さがしの子どもたち」と同じ人だと知って、へぇと思ったことがあります。
数年後、NHKで「おねがい!サミアどん」というアニメが始まり「俺の知っているサミアドと違う!」と思ったのも懐かしいです。
「砂の妖精」あるいは「Psammead」で画像検索すると少女漫画風のものからリアルなものまで、いろいろなサミアドを楽しめます。