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昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

名犬ラッド

A.P.ターヒューン 作
岩田欣三 訳
ロバート・ディッキー さし絵
岩波書店 1951年9月10日 第1刷
1975年11月20日 第19刷 400円

名犬ラッド
イラスト:浅渕紫歩

毒入り肉
1900年代の初頭、アメリカはニュージャージーのお屋敷で実際に飼われていた、とても賢いコリー犬の物語です。
物語の中では、お屋敷に侵入しようとした賊が毒入りの肉で番犬を排除しようとする場面のことをよく覚えていました。

ネコを毒殺することはひじょうにむずかしいが、犬を毒殺することくらいやさしいことはない。というのは、犬はいつも毒を仕込んだ肉を、一口に呑みこんでしまい、かむとかなんとかして、なかみを吟味しないからである。

当時我が家ではイヌ(雑種)を飼っていて、食べ物をあげた時のがっつきぶりはよく知っていました。あぁ、家のイヌもダメだなと思ったものです。
毒入りの肉を与えられたのはラッドの息子のウルフでした。ウルフは食べ物をちびちび食べるというイヌらしからぬ性格だったおかげで途中で肉の変な味に気づき、なんとか難を逃れることができました。


ラッシーではない
毒肉のエピソードを除くと、期待外れであまり面白くなかったという印象しか残っていなかった本です。その原因はタイトルにあったように思います。
世代的に「名犬」と題されていてしかも「コリー」となれば、どうしても頭に浮かんでくるのはテレビドラマの「名犬ラッシー」でした。人間の良き相棒として様々なピンチを救ってくれたりもするラッシー。たぶん「名犬ラッド」にもそうした展開を望んでいたのでしょう。
ところがこの作品ではラッドはあくまでも動物として描かれています。賢さと主人に対する忠実さはあるものの、子ども向けに擬人化されているような点はありません。極端に言ってしまえば自分とご主人様の世界が守られれば、その他の人間がどうなろうと知ったことではないという、イヌのリアリティが追求された物語になっているのです。

お屋敷にはラッドが好意を寄せるレイディというメスもいました。そこに新たにネイヴというオスが迎え入れられことによって平和だった生活に波風が立ち始めるシーンは次のように書かれています。

ラッドは、新しくきた犬が、「邸」の一員に加えられるのをみると、やりばのない怒りを感じ、このとび入りの犬と、主人夫婦の愛撫をわかちあわなければならないことに、がてんのゆかないかなしみをあじわった。そして、ネイヴが陽気にレイディに近づいていき、レイディのほうでも、新来の客とつきあうのをあきらかによろこんでいるのをだまって見ていなければならないことになると、苦しみはいよいよたえられなくなってきた。

大人になった今でこそ面白く思える、このメロドラマ風エピソードを、ラッシー的なものを求めていた当時の自分が受け付けなかったのはなんとなくわかります。


コリー
またお話の中ではコリーという犬種がオオカミの習性を色濃く残しているということがよく語られ、ラッドの攻撃力の高さもしばしば出てきます。
お屋敷に忍び込んだ泥棒に容赦なく襲いかかる場面はかなり恐ろしく描かれていました。

男は、身をひるがえして、あいた窓からとび出そうとしたが、半分もやらせず、ラッドは敵のえり首におどりかかった。犬の上歯は、くまでのように、かたい頭蓋骨をひっかき、肉もろとも、ちぢれた一握りの髪の毛をはぎとった。

今ではフレンドリーな大型犬というとレトリバーあたりを思い浮かべる方が多いでしょう。
1960年代の日本ではラッシーの影響もあり、そのポジションにコリーがいたような気がします。近所にもコリーを飼っていた家があり、学校の行き帰りに生垣から突き出してくる鼻っ面を撫でてあいさつをしていました。
そんなコリーの凶暴性をまざまざと見せつけられたことも、あれ、なんだかちょっと思っていたのと違うぞと思ってしまった一因のような気がします。

今回「名犬ラッド」を読み返してみての感想はとても面白かった、です。子どもの頃に気に入らなかったであろう、イヌをイヌらしく描いている点が逆に良く思えました。
初めてこの作品を読んだのは小学校高学年の頃でした。面白いと思えるには、ほんの1、2年早かったのかもしれません。

(2020.1.4更新)

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