ネコを毒殺することはひじょうにむずかしいが、犬を毒殺することくらいやさしいことはない。というのは、犬はいつも毒を仕込んだ肉を、一口に呑みこんでしまい、かむとかなんとかして、なかみを吟味しないからである。
当時我が家ではイヌ(雑種)を飼っていて、食べ物をあげた時のがっつきぶりはよく知っていました。あぁ、家のイヌもダメだなと思ったものです。
毒入りの肉を与えられたのはラッドの息子のウルフでした。ウルフは食べ物をちびちび食べるというイヌらしからぬ性格だったおかげで途中で肉の変な味に気づき、なんとか難を逃れることができました。
お屋敷にはラッドが好意を寄せるレイディというメスもいました。そこに新たにネイヴというオスが迎え入れられことによって平和だった生活に波風が立ち始めるシーンは次のように書かれています。
ラッドは、新しくきた犬が、「邸」の一員に加えられるのをみると、やりばのない怒りを感じ、このとび入りの犬と、主人夫婦の愛撫をわかちあわなければならないことに、がてんのゆかないかなしみをあじわった。そして、ネイヴが陽気にレイディに近づいていき、レイディのほうでも、新来の客とつきあうのをあきらかによろこんでいるのをだまって見ていなければならないことになると、苦しみはいよいよたえられなくなってきた。
大人になった今でこそ面白く思える、このメロドラマ風エピソードを、ラッシー的なものを求めていた当時の自分が受け付けなかったのはなんとなくわかります。
男は、身をひるがえして、あいた窓からとび出そうとしたが、半分もやらせず、ラッドは敵のえり首におどりかかった。犬の上歯は、くまでのように、かたい頭蓋骨をひっかき、肉もろとも、ちぢれた一握りの髪の毛をはぎとった。
今ではフレンドリーな大型犬というとレトリバーあたりを思い浮かべる方が多いでしょう。
1960年代の日本ではラッシーの影響もあり、そのポジションにコリーがいたような気がします。近所にもコリーを飼っていた家があり、学校の行き帰りに生垣から突き出してくる鼻っ面を撫でてあいさつをしていました。
そんなコリーの凶暴性をまざまざと見せつけられたことも、あれ、なんだかちょっと思っていたのと違うぞと思ってしまった一因のような気がします。
今回「名犬ラッド」を読み返してみての感想はとても面白かった、です。子どもの頃に気に入らなかったであろう、イヌをイヌらしく描いている点が逆に良く思えました。
初めてこの作品を読んだのは小学校高学年の頃でした。面白いと思えるには、ほんの1、2年早かったのかもしれません。