ヘンリー=ハギンズの飼犬アバラーはどこにでもいる、ごくふつうの犬です。犬種はいわゆる雑種です。でも、とても人なつっこい、気のいい犬で、ヘンリーが学校にいくときは、学校までついてくるし、ゆうびん屋さんがくると、ゆうびん屋さんに、ついていきます。
そんなアバラーが家族とショッピングに出かけた時に迷子になってしまい、様々なトラブルの末に無事ヘンリーの元に戻ってくるまでを描いた物語です。
アバラーは名犬と呼べるような類のものではありません。ヘンリーくんのことが大好きで家に帰りたいとは思っていても、迷子になっている最中にエサをもらったりすると、まぁこのままここにいてもいいかなと思ってしまうようなイヌです。格別擬人化されることはないのでアバラーがどんな行動をとるのか先が読めず、結構ハラハラさせられた思い出があります。
今回読み返してみて一番感じたことは、イヌならばこんな時にこんな風に考えるだろうという作者の優れた観察眼です。コメディタッチでありながらリアルな物語として楽しむことができました。
また、お話のヤマ場にはアパートに迷い込んだアバラーがうっかりエレベーターに乗ってしまう場面があります。
ブルルルルルルンというような音がして、とつぜんアバラーは、いままでに、いちどもあじわったことのない、ふしぎなかんじにおそわれました。胃ぶくろはじっとしているのに、からだが上にあがっていくかんじです——こんな気分は、だいきらいでした。
幼い頃はエレベーターに乗る機会があまりなく、アバラーと同じような気持ちになったことも思い出しました。たしか高校生くらいまではエレベーターに乗るのが苦手だったと思います。
「ぼくが、最初に見つけたとき、すごくやせて、あばら骨が見えてたんだよ。だから、アバラーってつけたんだ。」と、ヘンリーは説明しました。
当時小学校の中学年だった自分はこの一節を、訳者が原文を改変したものだと判断しました。
アバラーには英語で他の意味があるのだけれどそれでは日本の子どもにはわかりづらいので「あばら骨が見えていたから」という由来をでっち上げたに違いない。海外の物語を多く読んでいるぼくはそのあたり敏感だからな!とひとりで悦に入っていたのです。
ところがある程度大人になってから「アバラーのぼうけん」の原題が「RIBSY」であり、原書ではアバラーなどという名前はどこにも存在せず、RIBSYと呼ばれていることを知ってたいそう驚きました。
RIBSYのRIBはスペアリブやリブロースでおなじみのRIB、肋骨です。「ぼくが、最初に見つけたとき、すごくやせて、あばら骨が見えてたんだよ。だから、リブシーってつけたんだ。」というのがオリジナルに忠実な訳でしょう。改変されていたのはあばら骨云々の理由の方ではなく、名前の方だったのです。
オリジナルのニュアンスをうまく伝えようとして大胆な翻訳が生まれることもあります。
「お熱いのがお好き」という映画ではマリリン・モンローの「Bryn MawrからVasserを出た」(Bryn MawrもVasserも学校の名前)というセリフに「聖心から学習院を出たのよ」という字幕がつけられて話題となりました。
小学生のくせに全てが忠実に訳されるわけではないというひねた視点を持っていたのはこうしたエピソードを親から聞きかじっていた影響もあったかと思います。
アバラーの方ではなく「あばら骨が見えていたから」という理由の方が改変されたに違いないと思い込んでしまったのはアバラーがキャラクターに与えられた名前だったからでしょう。
自分が親しんできた海外のお話ではジャックが太郎になったりエリザベスが花子になったりはしていませんでした。まさか名前が変えられるとは思ってもいなかったのです。
「毛が白いからシロという名前にした」というようなことであれば怪しみもしたのでしょうが、アバラーといういかにもアメリカにいそうな名前をつけれらてしまうとお手上げです。訳者にしてみればしてやったりかもしれません。