宝石商の娘である早苗を誘拐して国宝級のダイヤモンド「エジプトの星」を奪おうと目論む黒トカゲ。明智小五郎があと一歩のところまで追い詰めはしたものの、惜しいところで逃げられてしまいます。
あたしはね、宝石もだいすきだけど、宝石なんかよりも、あんたのその美しいからだがほしくなったのさ。けっしてあきらめやしない。ねえ、明智さん、あたし、これくらいのことで、早苗さんの誘拐をあきらめやしないよ。
ダイヤモンドよりも早苗を手に入れたくなったという黒トカゲの捨て台詞に「あれ、コイツ結構やばいやつななんじゃないの」という感覚が頭をよぎりました。
どことなく、人形とはちがった、恐ろしいようなところがあるでしょう。早苗さん、あんたは、動物のはく製をしってるでしょう? ね、ちょうどあんなふうに、人間のはく製ができて、美しい人間の姿を永遠に保存することができたら、すばらしいと思わない?
美を追求し続ける黒トカゲは美しい人間をさらってきてははく製にしていたのです。更に恐ろしいことには、はく製にする人間を殺すために大きな水槽を用意していました。
「このなかへ、やっぱり人間をいれて遊ぶのよ。お魚なんかより、どんなにおもしろいかわかんないわ。おりのなかであばれまわっている人間もたのしいけど、水のなかへ投げこまれた人間の水中ダンスったら、もっともっとすばらしいわ」
いくら美しいからといって誘拐されたあげく、はく製にされるためこんな殺し方をされるのではたまったものではありません。
大人となった今だと猟奇的な行動をする黒トカゲの心理の部分により大きな恐怖を覚えます。もし子どもの頃に読んでいたとしたらやはり怖いとは思ってもそれは傷つけられたりはく製にされてしまうという物理的な危害に対してなんだろうななどと思ったりもしました。
いずれにせよ、「魔術師」の感想文でも少し書いたように「黒い魔女」は今の基準だと小学校の図書室には置いてもらえそうにありません。
ついでと言ってはなんですが、昔はナチスの人体実験を怪奇読み物風にまとめた子ども向けの本も普通に本屋さんの棚に並んでいたことを思い出してちょっと懐かしくなりました。
明智探偵は、この事件にたちあがり、怪盗にたたかいをいどみます。どんなすばらしいちえでも、悪は正義には勝てません。美しい女賊は、ついにいたましい最期をとげてしまいます。
探偵小説の前書きに堂々と結末が書かれていることに驚きました。
少年探偵シリーズの多くは二十面相の犯罪により子どもたちがピンチに陥るものの、最後は明智小五郎の活躍によって事件が解決するという時代劇に似たパターンを持っています。もしかするとこのネタバレには、すごく怖いお話に思えるかもしれないけれど最後はいつものように正義が勝つから安心して読んでねという親心のようなものがあったのかもしれません。