マカロンという単語はノルウェーの劇作家イプセンの戯曲「人形の家」で初めて目にしました。確か高校生の頃だったと思います。箱入り娘として育った主人公ノーラの、結婚して子どもができてもどこか幼さが抜けない面の象徴のような形で出てきました。
ランク あれあれ、マカロンだ。そりゃ禁制のはずですがね、この家じゃ。
ノーラ ええ、でもこれは、クリスティーネにもらったんですの。
原千代海訳 岩波文庫
お菓子ばかり食べてちゃダメだよと諭す夫の目を盗むようにちょいちょいマカロンを口に運ぶノーラの様子が可愛く、印象に残っていました。
当時母親が時々買ってくるお菓子の中に「マカロン」ではなく「まころん」というものがあり、子ども的にテンションの上がるおやつではなかったものの味は好きで、あればがつがつ食べていました。
ノーラが食べていたのも「まころん」みたいなものだったのだろうと想像していたので、カラフルな「マカロン」にはちょっと驚いたものです。
正直なところその色味からあまり食欲をそそられず、食べたことのなかったマカロンに2021年の年末、挑戦してみました。
1879年に書かれたこの作品は主人公のノーラがある事件をきっかけに夫にとって自分はお人形のように愛でられる存在でしかないと気づき家を出ていくことでエンディングを迎える物語です。
女性の自立をテーマとしたお話として語られることが多く、自分もそのような内容だったと記憶していたのですが、今回読み直してみて女、男というくくりではなく、人間はどのように生きていくべきなのかを問いかける作品としてとらえる方がしっくりくるような気がしました。
ところで学生時代、演劇史の授業で先生から「戯曲は電車で読んではいけません」と言われました。
戯曲は舞台のために書かれたものであり、自分の降りる駅が来たからといってしおりを挟んで読むのを中断するのは芝居の途中で席を立つのに等しい行為である、というのがその理由でした。
戯曲を読む時はきちんと時間を確保して最初から最後まで読み通しなさいという教えにはなるほどと納得はしましたが全然守っていません。ひどいもので映画をレンタルしてきても3分の2でストップして、残りは後日に観たりすることさえあります。
今回の「人形の家」も2、3日かけて読みました。
実際に食べてみた気づいたのは、一口で食べるには少し大きく、齧るとけっこうぼろぼろくずれるということでした。「人形の家」には
ノーラ (ポケットからマカロンの袋を取り出し、一つ二つ食べる。それから忍び足で夫の部屋に近づき、ドアに聞き耳を立てる)
原千代海訳 岩波文庫
という描写があります。
調べてみたところ、現在多くの人がマカロンとして認識しているものは1930年代のフランスで生まれた、マカロンでクリーム状のものをサンドした「パリ風マカロン」であることがわかりました。
そもそものマカロンは素朴な焼き菓子だったそうですのでノーラが食べていたマカロンは、むしろ自分が子どもの頃にむさぼっていた「まころん」に近かったのかもしれません。
様々な想いと共に初めて食べてみたマカロンの味はなんとなく想像していたものと大きな隔たりはありませんでした。
きれいな見た目には全然関心がない上に舌が貧乏なこともあっておやつにするのなら「まころん」を選んでしまいそうな、個人的にはそんな感じでした。