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昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

サムくんとかいぶつ (後編)

マンロー=リーフ 作
渡辺茂男 訳
井上洋介 画
学習研究社 1968年初版 400円

サムくんとかいぶつ
イラスト:蜥蜴男

微妙に長くなってしまいましたので感想文を2回に分けました。今回は後編となります。
前編はこちらでご覧ください。

ニョゴニョゴは悪なのか?
「サムくんとかいぶつ」には小学生時代も、読み返してみた今回も、釈然としない読後感がありました。それは日米のマンガ文化の違いに起因しているように思われます。

アメリカのコミックスは基本的には幼年者向けだと書かれた記事をずいぶん昔に読んだことがあります。例えば中学生くらいでマンガを読んでいると「おいおい、まだそんなもん見てんのかよ」とバカにされてしまうイメージです。
一方日本では低俗という理由でPTAなどから糾弾されることはあっても、大学生や社会人にまで及ぶ広い層がマンガを楽しんでいました。
こうした文化的背景がマンガを悪者にしていることに対して抵抗を感じさせたのかもしれません。

物語の最後、ニョゴニョゴがサム君の元から去る場面はしんみりしたものです。

かいぶつニョゴニョゴは、サムくんが左手にもっていた図書館のカードを見て、くびをふりながらいいました。
「おれ、こんなこと、ぜったいほかの人にはいわないだわさ。でも、おれ、いつもしたいことがあっただわさ。わらわないとやくそくすれば、おれ、それをはくじょうするだわさ。」
「やくそくするよ。」と、サムくんはいいました。
「おれ、いつでもいつでも、図書館の本だなの上におかれるような、本の主人公になりたかっただわさ。」

スパイダーマンやアイアンマンといったコミックス出身のキャラクターがハリウッド映画で大活躍している昨今ではまた事情が変わっているかもしれませんが、1970年代当時ニョゴニョゴに一番同情したのは日本人だったのではないかと思ったりします。


あのニョゴニョゴが最後の一匹だとは思えない
「サムくんとかいぶつ」の中でマンガは子どもの健全な生活に悪影響を与えるものとして扱われています。自分の子ども時代だとちょうどテレビがそんな扱いでした。
ニョゴニョゴが部屋から出て行くところでお話は終わりなので、サム君がその後どうなったのかは描かれていません。たぶんお父さんと図書館に通って、素晴らしい本に出会い、子どもらしい生活を取り戻したのでしょう。
でも本をたくさん読んでいればそのうちモノガタリバーカ種族とかいうニョゴニョゴのお仲間がやってきそうだなと、図書館にあるような本が好きで、それに熱中して空想を膨らませ、その世界で遊ぶことが好きだった自分は思ったりします。
なにごともほどほどに、ということで。


わたし、気になります
今回「サムくんとかいぶつ」を読んでみて、ふたつの理由から原書を見てみたくなりました。
ひとつはニョゴニョゴに連れられていったマンガ世界の遊園地でサムくんが初めて見たキャラクターについて確認したいからです。

「おまえ、あのイッキーおじさんをしらなかったのかい。ねずみとあひるのあいのこで、ダックマウスという、ゆうめいなマンガの国の動物だわさ。」

イッキーおじさんには三匹の姪がいますし、そもそも名前からしてあのキャラとあのキャラを足して2で割ったんだなというのは容易に想像がつきます。オリジナルもディズニーをパロっているのか、それとも訳者の遊び心のなせるわざなのか。「はなのすきなうし」がアニメ化されるくらいの関係にはあったわけですからたぶん前者だとは思うのですが、ちょっと気になりました。

もうひとつは訳者のあとがきに書かれていたことに興味がわいたからです。

なお、『サムくんとかいぶつ』には、もう一章、サムくんがジャングルにいく話があるのですが、これは日本の子ども達に不適当と考えたので省略しました。

暴力や性の表現に関しては日本よりアメリカの方がはるかに厳しいでしょうし、そもそも「サムくんとかいぶつ」にそんな場面が出てくるはずがありません。となると太平洋戦争を舞台としたマンガの中でサム君たちが日本兵をやっつけるようなお話だったのかなと想像したりするのですが、どうなんでしょう。
まぁ、わざわざ本国から古本を取り寄せるほどの熱意も英語力もないので、これらの疑問が解決されることはなさそうです。


※ご紹介が遅れてしまいましたが「ケニアの人食いライオン」から蜥蜴男さんにもイラストを提供していただいています。蜥蜴男さんについてはこちらをご覧ください。

(2018.4.20更新)

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