サイト名

昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

じいさまがえるのたび

ソーントン・バージェス/作
大蔵敏子/訳
小林与志/絵
金の星社 1972年10月発行 630円

じいさまがえるのたび
イラスト:あみあきひこ

ないものは買えない
所有しているアニマル・ブックスの中では一番最後に買ってもらった一冊です。昔からカエルが好きだったので巻末のラインナップを眺めては読みたいなと思っていました。手に入れるまでに時間がかかってしまったのは、なかなか近所の本屋さんに入荷されなかったからです。

ネット通販が存在しない当時の購買スタイルは「本屋さんにあるものを買う」というものでした。
書店による取り寄せシステムのことは知っていても、それは大人の世界の話であり、子どもが恩恵にあずかれるようなものだとは思ってもみませんでした。
品揃えの良い大型書店は電車で30分以上かかるためそうそう連れて行ってもらえるものでもなく、公立図書館ができたのは小学3年生の頃でしたので、店頭にない本に関しては「いつか読めればいいな」くらいの気持ちでいる距離感が身についていました。


カエルが好き
じいさまがえるはこれまで読んできたシリーズにもちょくちょく顔を出しています。いわゆる長老ポジションで、長生きの経験を生かしてみんなにちょっとした忠告をしたりしていました。
ところが晴れて主役となったこの作品ではその賢さがすっかり消えてしまい、むしろ愚かな年寄りとして描かれています。
かうわそのジョーのいたずらにひっかかって大きな魚を丸呑みしてしまう場面では、喉が詰まって涙を流すまで苦しんでも深刻な事態に陥っているとは気づいてもらえず、慌てている姿が面白いと笑いものになってしまいます。
食い意地の張っているじいさまがえるの自業自得、欲張りさんがちょっと痛い目をみる童話の定番といえばそうなのですが、カエル好きとしては胸の痛くなるシーンでした。


頑固ジジイ
じいさまがえるはいとこのひきがえるのじいさんに煽られたこともあり、生まれてからずっと過ごしてきた池を離れて広い世の中を見てやろうと決意します。じゃこうねずみのジェリーが高齢であることを心配して、やめた方がいいと言ってくれますが意地を張って聞き入れませんでした。

旅の途中で出会ったのねずみのダニーの忠告にも耳を貸しません。それどころか、気になってついてきてくれた心優しいダニーのことを見下し始める始末です。

「(前略)はじめて、ひろいよの中にでてきたわしが へいきなのに、うまれてからずっと ここにすんでいるダニーが、いまにもなにか、おそろしいことが おきやしないかと、ようじんしている。プッ! なんておくびょうなんだろう。」

じいさまがえるのことを思って、いつもより慎重に周囲を警戒してあげている責任感の強いダニーに対してこんなことを思うのですから、もはや老害ここに極まれりといった描かれ方です。
いち早く危険を察知したダニーから身を隠すように言われても無視して強がります。

「ゲゲゲロ。こわいものなど、なにもきやしないよ。わしは かくれたりなんかしないぞ。」

こんなじいさまがえるが農場の少年トムにあっさり捕まってしまうのは当然の報いといっていいでしょう。


最後の一冊
じいさまがえるはいろいろと痛い目をみながらなんとか生まれ育った池に帰ってきます。うぬぼれはいけないという教訓はあるものの、全体としては年寄りの冷や水がテーマという、あまり児童書っぽくない内容の一冊でした。

表紙や挿絵に描かれているじいさまがえるはヒキガエルっぽく見えますが、ぴょんぴょん跳ねたり池のスイレンの上にいたりする描写があるのでウシガエル的なものだと思います。ヒキガエルはいとことして登場しますし、なにより原書での表記がヒキガエルを表す「toad」ではなく「frog」となっています。カエル好きな子どもとしては若干不満の残る絵ではありました。

手持ちのアニマル・ブックスはこれで最後です。
全巻手に入れたい、読みたいと思っていた時期もありましたが、結局読んだのは20巻中6冊でした。最後に読んだ「じいさまがえるのたび」でカエルの扱いがひどかったために愛想を尽かしたという訳ではなく、成長に伴ってアニマル・ブックスの世界から自然に卒業したのだと思います。

(2018.7.25更新)

»ひとつ前の感想文を見る

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system