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昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

昭和のイヌ

昭和のイヌ
イラスト:あみあきひこ

タロウ
アバラーのぼうけん」の主人公であるアバラーはお世辞にも名犬とは言えないイヌでした。そんなアバラーに親近感を覚えたのは当時家で飼っていたイヌの影響が大きかったからかもしれません。

タロウと名付けられる仔犬が我が家にやってきたのは自分が3歳ぐらいの頃でした。ソファの下に潜り込んでしまってなかなか出てこないという場面をぼんやりと覚えていて、おそらくそれは自分の人生に於ける最古の記憶だと思います。
シバイヌという触れ込みでしたが成長するにつれて毛がもさもさと伸び、すぐに雑種であるとバレてしまいました。

昭和のイヌ昭和のイヌ

昭和のイヌなのでもちろん外飼いです。庭の柿の木に鎖で繋がれ、父が作った犬小屋で生活していました。大きな台風が直撃しそうな時以外は雪が降ろうが外にいました。夏場の暑い時には自ら小屋の下に穴を掘ってそこで涼んでいたものです。

アバラーは普段の生活では綱で繋がれることはなく、ヘンリーくんを学校まで迎えに行ったり、自転車に乗っていれば並走したりとその行動はかなり自由で、イヌとはいえアメリカンなライフスタイルを満喫しています。
一方タロウはと言えば常に鎖で拘束されていて、そのせいか隙あらば脱走しようとするようなイヌでした。我が家に限ったことではなく、近所のイヌはどこも似たり寄ったりだったように記憶しています。

昭和のイヌ


食生活
アバラーの普段の食事はドッグフードであり、時折肉屋さんで買った馬肉をもらったりします。
1970年代にはテレビでドッグフードのコマーシャルが流れ始めていましたがタロウには余ったご飯にこれまた余ったお味噌汁などをかけたものが与えられていました。

田舎でおじいちゃんが猟をしていたという知り合いがいました。そこで猟犬として飼っていたポインターの普段のエサもお米のご飯だったと言っていました。昔の日本のイヌの主食はお米だったわけです。
ちなみにネコを飼っていた友人の家でいわゆる「ねこまんま」を目撃したこともあります。ネコもお米をたくさん食べていた時代でした。

物珍しさもあって缶詰入りのドックフードをタロウにあげたこともあります。それはそれでおいしそうにたいらげるのですが、自分のエサはお米だと認識しているので少しすると「ごはんちょーだい!」と吠えて催促するのでした。


お米へのこだわり
いくらお米が主食だったとはいえ白飯だけということはありませんでした。お味噌汁に余ったおかずというのが定番で、残ったカレーを水で薄めたものという日もありました。
塩分過多や玉ねぎがイヌにはNGといったようなことが一般に広まったのは平成時代に入ってからのことだと思います。確かに無知だったかもしれませんが、ヒトが食べて美味しいものはイヌにとっても美味しくて栄養があるだろうという善意に基づいたエサやりではありました。

イヌは雑食性ですのでタロウも与えたものは文句も言わずに食べていました。ただニンジンは口に合わなかったのか、それだけを器用に残していたことを覚えています。

月日が流れ我が家では子どもたちが朝食はパンを好むようになったり、体型を気にしてお米のご飯をあまり食べなくなるような変化が生じ、ご飯の余りが昔ほどは出ないようになりました。
エサを作っていた母は戦争による食糧難を経験していて、子どもの頃は「白いご飯をお腹いっぱい食べられたら死んでもいい」と思っていたような人でしたのでイヌのために人様が食べるご飯を多めに炊くということは考えられませんでした。
またイヌやネコは人間の余り物を食べるものだということが当たり前な世代でしたので、ドッグフードを与えるという選択肢もありませんでした。贅沢品のような抵抗があったのかもしれません。なによりタロウがおやつとしてしか認識しないのは問題でした。

最終的に母が下した決断は小さな炊飯器を用意してイヌ用に古米のような安いお米を別に炊く、ということでした。
労働力を考えるとこれはこれでかなり贅沢な気もしますが、いろいろな思いが相まった上での母にとっての最適解だったのでしょう。

昭和のイヌ

(2021.2.6更新)

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