図書室や本屋さんの棚を眺めていると「ふたりのロッテ」「エミールと探偵たち」「点子ちゃんとアントン」といったタイトルは自然と目に入ってきましたので、ケストナーが有名な作家であることは知っていました。
しかしどの作品も読んだことはありませんでした。みんなが読んでいそうな本だと「じゃあ、自分は読まなくてもいいか」と思うような子どもだったからです。一旦話題に乗り遅れると悔しくて拗ねるタイプとでもいいましょうか。
そんなつまらない理由でメジャーな作品はあまり読んでいなかったりします。
もっとも「サーカスの小びと」は今では図書館か古本屋さんで探さなければ読めないようです。他のケストナー作品と違ってマイナーな存在なのかもしれません。
名前だけしか知らなかったケストナーは19世紀末か20世紀初頭ぐらいに活躍した昔の作家というイメージを勝手に抱いていたので、作中にテレビが出てきたのには少し驚きました。実際のケストナーは1899年生まれで、初めての子ども向けの作品「エミールと探偵たち」の出版年は1929年、「サーカスの小びと」が出版されたのは1963年です。
小さなメックスヒェンは確かに不思議で特異な存在です。しかし両親の故郷であるピヒェルシュタインから届いたファンレターには年頃の男の子らしい返事を書いています。
「ピヒェルシュタインの人はみんなたいそう小さいから、たぶんピヒェルシュタインには、ぼくと同じ年で、大きさでもぼくにあうような女の子がいるでしょう。いたら、この上ないしあわせです。その人がまもなくぼくをたずねてくれ、できるだけ長くぼくたちのところにいてくれたら、ぼくの親友ヨークスも、きっとぜんぜん反対しないでしょう。」
残念ながらメックスヒェンの希望に沿うような女の子は現れませんが、どんなに体が小さくてもその本質はどこにでもいそうな普通の男の子だということを感じさせてくれるうまい演出だと思いました。
育ての親であるヨークスのロマンスや世の中に対するちょっとした皮肉などがところどころに挟まれているので、小人が活躍するファンタジーとは言ってもまったくの子ども向きのお話という感じではありません。
メックスヒェンが普通の人と同じ身長になる夢を見るというエピソードがあります。そこでは彼がどんな人間になりたいのかといった思いを垣間見ることができました。希望や悩みといったいろいろなものを抱えたひとりの少年の成長物語として楽しめる作品だと思います。
前半でメックスヒェンの書く文字がいかに小さいかを説明する部分があります。
虫めがねがなかったら、教授もボーイも女中さんも、メックスヒェンの書いたものを、インキのしみか、ハイのふんと、思ったでしょう。
祖母が蝿のことをハイと発音していたことを懐かしく思い出しました。不思議なことに後半になるとハイではなくハエと表記されるようになっています。
また、ところどころに出てくる料理の名前が「松露で味をつけたガチョウの肝臓のパイ」「黒コーヒー」などとなっていて面白かったです。
今の子どもには「トリュフとフォアグラのパイ包み焼き」「ブラックコーヒー」と言った方が通じるでしょう。
「世界の料理ショー」というテレビ番組が好きだった小学生当時の自分はフォアグラの存在は知っていても、子どもがおいそれとは入れない超高級レストランでしか食べられないものという認識でした。
それから数十年経って日本の食文化も変わり、フォアグラやトリュフを使った料理もファミレスなどで食べられる身近なものになりました。
ただ昔の児童書で育った身としては「トリュフとフォアグラのパイ包み焼き」よりも「松露で味をつけたガチョウの肝臓のパイ」と言われた方がちょっとおいしそうに感じてしまったりします。