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昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

十五少年漂流記

ジュール=ベルヌ 作
辻 昶 訳
山野辺進 画
学習研究社 昭和49年 1200円

十五少年漂流記
イラスト:点線

題名からどんな話かはわかる
難破した15人の少年が無人島で過ごす様子を描いたお話です。有名な作品なので読んだことはなくてもおおよその内容は知っているという方も多いでしょう。
少年たちは親の仕事の関係でニュージーランドの同じ寄宿学校に通っていて、年齢は8歳から15歳くらい。国籍はフランス人が2人、アメリカ人が1人、イギリス人が11人、それに見習い水夫の黒人少年が加わっての15人という構成です。

自分の持っている本は「学研世界名作シリーズ」の一冊として出版されたものです。低年齢向けにリライトされたバージョンではなく完訳版なので児童書とはいえ読み応えがありました。
サバイバルの中での人間関係が丁寧に描かれ、後半には島から脱出できるチャンスと結びつく大きな展開が待っています。しかし子どもたちが遭難するはめになってしまった理由などは覚えていたというのに、この一番盛り上がる部分についてはなぜか全然頭に残っていませんでした。記憶力低下を嘆くよりは新鮮な気持ちで楽しむことができたので良かった、ということにしておきます。


無人島の先入観
ところで無人島での生活を余儀なくされるお話と聞いた時、人はどんな島を連想するでしょうか。自分の頭にまず浮かんでくるのはヤシの木が生えているような南方にある小さな島です。「十五少年漂流記」の舞台もそんなものだったよなと思って読み直し始めたのですが、とんでもない間違いでした。

子どもたちがたどり着いた島は南アメリカ大陸の南端あたりに位置し、冬ともなれば気温はマイナス30度まで下がって深い雪に覆われてしまうような環境です。
大きさも半日あれば一周できてしまいそうなこじんまりとしたものではありません。少年たちは彼らよりもずっと前にこの島に漂着した人物の白骨を発見し、その遭難者が描き残した島の地図を手に入れます。

(前略)南北のいちばん長いところがおよそ八十キロ、東西のはばのいちばんひろいところが四十キロとなった。海岸線の不規則な凹凸を考えにいれて、島の周囲は延長二百四十キロぐらいであった。

調べてみると日本で一番大きい島は新潟県の佐渡島で、東西32.7km、南北59.5km、海岸線280.4kmでした。地形なので単純に比較はできないものの、無人島はなんとなく思い描いていたよりはるかにでかかったのだなということがわかりました。


19世紀の限界
大きな島だけあって食料となる鳥や獣は豊富で少年たちの食糧事情は割と安定しています。
というか、この規模の島にしては生物相が豊富過ぎます。肉食獣だけでもジャッカル、ジャガー、クマが生息していますしフラミンゴやアフリカにしか棲息していないはずのカバまで出てきます。

「雌牛の木」とも呼ばれるガラクトデンドロンという不思議な木にも驚かされました。

(前略)その樹液は、味も栄養も牛乳そっくりなのだ。おまけに、それをかたまらせると、上等のチーズのようになり、同時に蜜ろうのような、まじりけのないろうがとれる。

現代の常識からすると「ん?」と思ってしまう部分は、作品が発表された1888年頃に得られたであろう情報の質と量を考えれば致し方ないところでしょう。


フローネ
ツッコミどころが多く荒唐無稽に思えてしまうのはあくまでも今の視点だからです。「十五少年漂流記」は孤立無援の状況におかれた子どもたちがどうやって生きていくのかということをその当時の最新情報を元にシミュレーションした、むしろ現実的な物語だと思いました。
「スイスのロビンソン」という物語にあやかって捕まえたダチョウを乗りこなしてやろうとするやんちゃ坊主に対し、年上の少年が空想と現実は違うものだと忠告するシーンがあります。こうしたちょっとしたエピソードにも、ただの作り話ではない、ちゃんとした考証に基づいた物語なのだという作者のメッセージが込められているような気がしました。

ちなみに「スイスのロビンソン」は「密猟王黒ひげ」の感想文で触れた通りの作品です。「十五少年漂流記」にも影響を与えていたんだと改めて驚かされました。フローネ、すごい(原作には出てないですけど)。


kiss
翻訳は読みやすかったです。
ただ、ちょっとひっかかる単語がブリヤンとジャックというフランス人兄弟の会話の中に出てきました。ひとりで危険な任務に赴こうとするジャックが今生の別れになるかもしれないと兄のブリヤンに語りかける場面です。

「せっぷんさせて、にいさん!」
と、ジャックがいった。
ブリヤンは、胸がどきどきするのをおさえながらこたえた。
「いいとも、せっぷんしてくれ。というより……ぼくのほうが、おまえにせっぷんするんだよ。いくのは、ぼくだから。」

弟を危険な目に晒すことはできないと兄が任務の肩代わりを宣言するいいシーンなのですが、つい「せっぷん」という言葉にさすがに古いよなぁと反応してしまいました。

他の翻訳も気になって波多野完治訳の新潮文庫版(1951年初版)をチェックしてみたところ「キッス」となっていて、こちらも小さい「ッ」に微妙な古さを感じてしまいました。

(2018.12.22更新)

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