小さなおばあさんは、たいへんびんぼうでした。
大人としてはちょっと切ない気分になってしまいました。
もっとも内容は世知辛いものではなく、日常で出くわすトラブルの数々をおばあさんが知恵で解決するほのぼのストーリーです。そもそも子どもの頃の自分だったら貧乏と聞かされても「ふーん」で終わってしまい、切実なものは感じていなかったでしょう。
ちなみに「小さなおばあさん」と表現されていますが「スプーンおばさん」的なものではなく、小柄という程度の意味合いです。
いくつかの短編が一冊にまとめられていて、おばあさんは頭を使う度にお決まりのポーズを披露してくれます。
まず、ぬれタオルで、あたまをしっかりしばります。それから、いすにすわり、ひとさしゆびをはなのよこにあてて、目をつぶるのです。
元々は作者が幼かった息子に語り聞かせていたものだったそうです。きっとこのシーンが出てくるのを楽しみにしながらお母さんのお話に耳を傾けていたことでしょう。
おばあさんは悪さをするネズミを捕まえても殺す気にはなれず、ペットにして面倒を見るような優しい人です。動物好きだった当時の自分は当然好意を抱いたはずで、細かい内容までは覚えていなかったものの、好きな作品だった記憶があるのはそうしたことが関係しているのかもしれません。
おばあさんが寒い冬に備えて羽布団を手に入れようとするエピソードがあります。
羽布団はとても高かったので、おばあさんは代わりにガチョウを12羽買いました。夏は卵が取れるし、冬が来たら羽をむしって布団を作ればいいという目論見です。
ガチョウの単価まではわかりません。でも羽布団を買うよりも本当にお得なのでしょうか。大人の読者としてはこの時点で「ん?」となってしまいました。案の定、よく食べるガチョウたちのためにそこそこのエサ代が必要になってしまいます。
そして、いざ冬がやってくると心優しいおばあさんは羽布団作りをためらいます。羽をむしってしまった後のガチョウに寒い思いをさせたくなかったからです。羽布団がなければ穴だらけの古い毛布を使うしかありません。そこでおばあさんはひらめきます。穴をなくしてしまえばいい、と。
ところが、おばあさんが、はさみをもちだして、あのあかいもうふのあなをきりとってしまうと、あなは、なくなるどころか、まえよりもっと大きくなりました。
どのエピソードもだいたいこんな感じでした。賢いと思い込んでいたおばあさんは落語に出てくるような愛すべきお間抜けさんキャラクターだったのです。
最終的にはおばあさんは頭を使い、古い毛布の穴を活かしてガチョウ用の上着を作ってあげました。おかげでガチョウたちは暖かく過ごせ、おばあさんも羽布団を手に入れることができたのです。
頭を使えばいい結果が得られると信じているおばあさんの姿勢は気持ちが良かったです。なんとなく賢い人だと思っていたのはそうしたポジティブなところが影響していたのかもしれません。少なくとも大人となった今のような効率優先の目では読んでいなかったのだと思います。
作品全体から受ける優しい印象に大きく貢献しているのが随所に散りばめられているカラーの挿絵で、これは山脇百合子によるものです。「そらいろのたね」や「ぐりとぐら」の絵を描いた人だと聞けば、そのタッチを思い浮かべることができる方も多いでしょう。
「そらいろのたね」と「ぐりとぐら」についてはどこかで書いた記憶があったので調べて見ると「ももいろのきりん」の感想文でちょっと触れていました。これらの作品の作者である中川李枝子は実のお姉さんだそうです。
読み終えて裏表紙に目をやるとそこに自分の名前が記されていました。おそらく母親の字だと思います。
本に記名する習慣はなく、なぜこの本だけに名前が記されていたのか少しだけ気になりました。小学校への入学時期と重なって、自分の物に名前書いてよブームみたいなものが起きていたのかもしれません。
まぁ、どうでもいいことですが。