空気の流れは、ちょっと見ただけでは、わけのわからないような反応をおこします。その反応についてはじめて述べたのは、ベルヌイという大科学者だったので、その名をとって、「ベルヌイの効果」といっています。飛行機が飛べる理由は、このベルヌイの効果で説明できます。
もしかすると元々は4つ上の姉のために買われた本だったのかもしれません。
理系資質の高い子どもであれば「なんでだろう?」「どうして?」と食いつけるとてもいい本だと思います。
しかし高校時代の物理が惨憺たる成績だった文系脳にとっては今読み返してみてもきちんとは理解できていない気がします。
リンゴが落ちたりお風呂のお湯が溢れたりする日常的な事象の中に法則を見出す物理には、時として魔法にさえ見える化学反応のようなワクワク感がありません。当たり前のことはどうしても子どもの目には退屈に写ってしまいます。
風船を二つつるして、その風船をナイロンやウールや絹でこすると、どうなるでしょう。
素材を変えることで静電気の発生量に違いが出ることに注目してもらいたいという章も「知ってる、知ってる。下敷きで頭こすると髪の毛が持ち上がるやつ!」で終わってしまうのですから作者もがっかりでしょう。
ところで下敷きといえば小学生の頃は掛け算の九九がプリントされた下敷きが禁止されたことや、中学生になると雑誌の切り抜きを入れてオリジナル色を出せる透明なものが流行ったことなどが思い出されました。
下敷きに縁がなくなってから数十年、今でも学生は使ったりしているのだろうかとふと気になって検索してみると普通に「鬼滅の刃」やサンリオキャラのプリントされたものがヒットしてちょっと安心しました。
その他に思い出したのは当時の自分にとって風船はそれほど身近なものではなかったということです。
もちろんおもちゃ屋さんや駄菓子屋さんに行けば普通に買えたとは思うのですが、風船は我が家においてはおまけかなにかでもらうものであり、わざわざ買うようなものではありませんでした。
お茶やおにぎりは自分たちで入れたり握ったりするもので、旅先でもないのにそれらにお金を払うことに抵抗のあった時代のことです。風船なんてわざわざ買うものではないという感覚はそうしたものに近かったような気がしています。
風船そのものにもずいぶん触れていない気がしましたので100均で買ってみました。
幼い頃は風船を膨らませることはできても口を結ぶことができず、そこだけは親にやってもらっていたことも思い出しました。なお年齢には関係なく、膨らませた風船をぽんぽんついていると微妙にテンションは上がります。
膨らませた風船は日に日に小さくなっていきます。もっとも昔は2、3日でしわしわになってしまった記憶があるので、それに比べるとずいぶん品質が良くなっているのかもしれません。
「風船と実験」には「粒の透過性」という章があります。膨らませた風船の中に香水を一滴たらして香りが漏れるかどうかの実験をしてみようという内容です。
いろいろなものが、どのように動いたり、はたらいたりするかを説明しようとするとき、科学者は、物質はみな小さな粒からできていると考えます。
香水の粒は風船を形作っている粒より小さいので香りは外に漏れます。同じ理由で空気の粒も風船を通り抜けます。これが風船が縮んでいく理由です。
深い考えなしに空気は結んだ口からだんだん漏れているんだろうなと思っていたことが、今更ながらに改められました。