では優しいだけの世界かというとそうでもありません。動物たちの最近の関心事は近々引っ越してくる人間のことでした。もしやってくるのが「よいにんげんたち」ならば荒れ果てた菜園が整備され、動物たちの生活も豊かになります。しかしかあさんウサギは恐ろしい噂話を耳にしていて、それが心配でしかたありませんでした。
それは、しんせきのウサギ穴に、ある男が、自動車のはい 気ホースをつないだことなのです。このざんこくなやりかたで、いくつものウサギの家ぞくが、ぜんめつしたということです。
子どもらしい夢のある世界に妙に具体的で禍々しい空気がさらっと入ってきたりするのは面白かったです。
感謝した動物たちは新しく引っ越してきた人たちの菜園を荒らさないよう取り決め、よそ者や害虫から守るために見回りもするようになりました。
地元の人々は柵も罠もなく、毒がまかれることもないのに作物の出来がいい畑を見て首をひねるばかりです。
「(前略)ところが、このおれだ。おれは、みんなやってるだ。さく も、わな も、毒も。りょう銃をもって、ひと晩たってたことさえあるのに、どうなったとおもうね? おれのニンジンは、ぜんぶくわれちまったし、サトウダイコンは、はんぶんになっちまったし、キャベツはくりぬかれるし、トマトはふんづけられるし、しばふは、モグラにほりかえされちまった。」
十分な食べ物を与えることで動物たちの生活は豊かになり、それが人間の畑が守られることにつながる。幼い頃にこの物語が好きだった最大の理由はここにあったように思います。これぞウィンウィンの関係であり、人間と動物の共生を描く物語の理想と言っていいかもしれません。
もっとも大人になってしまった今ではこの美しいストーリーを額面通りに受け取ることはできませんでした。
引っ越してくる人間の作物に期待を寄せる動物たちはどことなく図々しく見えてしまいました。また子どもの頃は動物をいじめる悪い行為のように思えた罠や毒も、人間が農業で糧を得るための正当な防衛策と認識するようになっています。
なによりも野生動物に十分な食べ物を与えたことろで彼らが感謝の意を示すことなどありえず、それどころか数が増えて畑の被害が拡大することが目に見えています。
きれいごとだけではどうしようもないのが大人の世界です。
それとは別にひっかかりを覚えたのが家畜の描かれ方でした。
野生動物メインでお話が進む場合、イヌやネコはしばしば人間側に属する厄介な存在として描かれ、同じように人間に養ってもらっているニワトリやブタは取るに足らないものとして扱われることが多いように常々感じていました。それは「ウサギが丘」でも同じで、シカとスカンクのヒューイは新しく引っ越してくる人間がもたらすかもしれない恩恵について次のような会話を交わしています。
「ありますとも。」シカは、きっぱりといいました。「もっとずっとすてきなものがね。ところで、きみ、話をかえるけどね、コンキチくんは、ニワトリや、もしかするとアヒルなんかもくるんじゃないかと、まっているようですよ。きみにもきょうみがあるとおもうんだけど。」
「ニワトリ、けっこうだね。わかいやつね。」ヒューイは、あいづちをうちました。
キツネやスカンクがニワトリに興味を持つのは仕方ないこととしても草食であるシカですら家畜は食べられて当然のものと思っているようです。
人間がその肉を食べている事実がある以上、家畜の擬人化というのも物語を作る上でやっかいな問題ではあるなと思った次第です。
そんな状況を調べているうちに「ウサギが丘」には「ウサギが丘のきびしい冬」という続編があることを知りました。図書館で借りて読んでみましたが前作でお馴染みとなった動物たちが例年になく厳しいものとなった冬をなんとか乗り越えていくお話で面白かったです。
初読から半世紀後に続編が出ていることを知ってそれを読むというのも不思議な気持ちがしました。