中学生になると怖いものは減ってきたものの、それでもひとりで「エクソシスト」や「サスペリア」といったホラー映画のサントラを聴いたりするのはちょっと苦手でした。他の部屋には家族がいることがわかっていてもです。
ところが小学生から中学生に成長する一時期「怪奇小説傑作集」のような怖い系の話に割と手を出していました。なぜそうしたジャンルに惹かれたのかは今となっては不明です。ワサビ抜きではないお寿司にチャレンジするような、背伸び的行為だったのかもしれません。
「奇妙な食卓」はそんな年頃に購入しました。元はTBSラジオで夜の10時から放送されていた10分程度のラジオドラマで、それを書籍用に加筆修正したものです。
当時の深夜ラジオは中高生に人気があり「夜のミステリー」も時折クラスで話題になることもありました。
ラジオというメディアは現在のユーチューブのような存在だったような気がしています。
しかし怖いものを求めて読んではみたものの、当時の感想は「あんまり怖くない」でした。
実は「夜のミステリー」には聴取者からのお便りを元に構成した「体験実話シリーズ」というものがあり、これがすこぶる怖いと評判でした。心霊系の、恐怖を煽ることに特化したストーリーが多かったような記憶があります。
一方「奇妙な食卓」に収録されている作品の多くが扱っているのは日常に潜む不条理や不安で、それらが怪談風に語られることもあれば、ブラックユーモアやダークファンタジーとして表現されたりもしています。
短編作品としてしっかり作られているのですが、物語としてのうまさを感じてしまうとその分恐怖は薄らいでしまうような気がします。多少乱暴な構成でも「誰かが経験した実話」という前提にしておくと生々しさが出てより恐怖感が強くなるのかもしれません。
いずれにせよより強い刺激を求めていた中学生にとって「奇妙な食卓」はやや物足りない感じがしたものです。
そうした中、ああこの作品好きだったなと思い出したのは佐藤信の「何も通らない道」でした。
車の往来が激しい産業道路。しかしほんのわずかな時間だけ車の通行が途絶えるタイミングがあることにひとりの青年が気づき、歩道橋を使わずに何も通らない道を駆け抜けることを楽しむようになります。
ある日青年は絶対に大丈夫だからと恋人を誘いふたりで道路を駆け抜けようとしました。ところが突然現れたオートバイに驚いた恋人が転んで道の真ん中に残されてしまいます。
引き返して助けようとしたその時、空白をもたらしていた時間は終わり、青年の目には車にはねられて何度も宙を舞う恋人の姿が映ります。
何時間かたって、再びこの道路に一瞬の静寂の時がやって来た。眼の前に白っぽく広がる道のどこにも、もう何も残っていなかった。
ぼくのいる場所からは、どうやらあの時のものだとわかるかすかなしみも、あの舗道橋の上からでは、誰にも見分けがつかないに違いない。
まったく救いのない話です。
主人公の「ぼく」は他の作品と比べると若いので、些細ないたずら心が取り返しのつかない事態を生んでしまう恐ろしさが身近に思われ、印象に残ったのかもしれません。
昔に比べるとラジオを聴く人は減ってしまったとは思いますがラジオドラマは作られ続けています。例えば2012年には以前感想文を書いた「二分間の冒険」もドラマ化されています。
「夜のミステリー」も令和版として復活していて、夜中にイヤホンで聴いてちょっとびびりました。
同じサイトで公開されている「つけびの村」というミステリー作品も聴きごたえがあります。音だけでストーリーに集中するというのはかつて経験したことがあるにもかかわらず、どこか新鮮な感じがあり、これを機会にいろいろなオーディオドラマを楽しんでみたくなりました。