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昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

ツバメ号とアマゾン号 その1

アーサー・ランサム 作・さし絵
岩田欣三・神宮輝夫 共訳
岩波書店(岩波少年文庫) 全二冊 各400円
上巻 昭和33年7月10日 第1刷発行 昭和49年11月15日 第10刷発行
下巻 昭和33年8月11日 第1刷発行 昭和49年11月15日 第10刷発行

ツバメ号とアマゾン号
イラスト:浅渕紫歩

思い入れのある作品だけについ語り過ぎて長くならないよう、かなり注意して推敲を重ねたはずなのですが、やはり結構なテキスト量になってしまいました。ので3回に分けています。

1929年の夏休み
イギリス北部の湖水地方で夏休みを過ごす子どもたちの冒険を描いた物語です。

大人になってからも何度か読み返しているほど好きな作品で、自分の中では確固たる地位が築かれています。
オールドファンも多く、改訳版が2010年に刊行されたことからも時代を超えて楽しめるお話であることは間違いないのですが、残念なことに一般的にはそれほど知られていないかもしれません。そこそこの長編なので、読書好きな子どもでないとなかなか手に取ってもらえないというハードルの高さはその原因のひとつだと思います。

1974年2016年に映画化されていながらどちらも日本では公開されていませんので「大草原の小さな家」や「ナルニア国物語」のように他メディアの後押しで知ってもらえるような機会もありませんでした。配給会社に観客動員に寄与するほどの読者はいないと思われているのだとするとちょっと悲しいです。


ツバメ号とアマゾン号
表題となっているのは子どもたちが所有している小さな帆船の名前です。茶色い帆のツバメ号は夏休みで湖水地方を訪れたウォーカー家の4きょうだいが乗る船で、帆柱のてっぺんには自分たちで作った白地に青いツバメを縫い付けた三角の旗がはためいています。

自らを探検家と称するウォーカー家のきょうだいは湖に浮かぶ小島でキャンプ生活をスタートしますが、島の所有権は自分たちにあると主張する地元のブラケット家の姉妹から襲撃を受けてしまいます。海賊を名乗る彼女らが操る白い帆の船がアマゾン号で、マストには黒地にドクロの旗が掲げられていました。

「ぼくの名前はジョン・ウォーカー。」と、ジョンは言った。「ツバメ号の船長です。これはスーザン・ウォーカー、ツバメ号の航海士。これはティティ、AB船員。これはロジャ、ボーイです。君たちはだれ?」
年上のアマゾン号の海賊がジョンと握手した。
「わたしはナンシイ・ブラケット。海の恐怖アマゾン号の船長兼共同所有者です。これはペギイ・ブラケット、やはりアマゾン号の航海士兼共同所有者。」

出会いこそ敵対的だったものの休戦交渉を経て意気投合した6人は、共にキャンプ生活を送るようにまでなります。

子どもたちが探検家や海賊、あるいは船長や航海士といった役職を名乗っていることからもわかる通り、そこで繰り広げられているのは一種のごっこ遊びと言えます。
しかし食事や身の回りの始末を含めた様々な事柄に自分たちだけで対応する生活は幼い子の怪獣遊びやおままごととは明らかに違っていました。そんな「高度な」ごっこ遊びを実際に経験したことはなく、ものすごく憧れたものです。

児童文学にリアリズムを確立したと言われている作品らしく、荒唐無稽な事件は起きませんし、少年少女が並外れた能力を発揮するようなこともありません。だからこそ、彼らを身近に感じられ、自分もその世界の一員になれたかのように物語を楽しむことができたのだと思います。


ジョンとスーザン
ウォーカー家の長男・ジョンは遠く南シナ海で海軍の任務についているお父さんに憧れ、将来は自分も船乗りになりたいと思っています。最年長だけあって操船の技術や知識はきょうだいの中で一番高く、常に船長の立場にふさわしい振る舞いをしようと心がけています。
ジョンほどではないものの上手に船を操ることができるスーザンは料理からテントの整理整頓、弟のボタン付けまで家事的なもの全般をこなします。みんなにきちんとした生活を送らせたいという使命感のある彼女の目からすると、時としてジョンさえもひとりの手のかかる男の子に過ぎなくなります。
隙のなさそうな女の子ですが、お母さんが冒険家を歓迎する土人という設定でキャンプ地にごちそうを持ってきてくれた時には子どもらしい反応も見せてくれます。

「ばんざーい。炊事なしよ。」と、スーザンが言った。
「あははは。」と女の土人が大きな声で笑った。「あなたが炊事にあきたろうと思ったわ。でも、ほんとうによくやったようね。キャンプに病気は出なかった?」
「ぜんぜんよ。」と、スーザンが言った。「それに、わたし、炊事がいやになんかなってないわ。でも、たった一度だけでも、しなくていいっての、すてきだわ。」

反論しながらも、本音が少し顔を出しているのが可愛いです。


良い子であることのひけめ
ジョンとスーザンに共通しているのは妹と弟を守るという責任感の強さです。
「ツバメ号とアマゾン号」は子どもたちが良い子過ぎてつまらないと批評されることもあります。しかし自分にとっては彼らのようなキャラクターこそが作品を魅力的なものにしてくれる存在でした。

子どもの頃、物語の中心人物にはルールを逸脱してしまうような問題児が多いように感じていました。そうゆうキャラクターの方がストーリーを大きく動かせますし、実際面白いお話がたくさんあります。しかし問題児がクローズアップされると、その副作用で良い子の影が薄くなってしまうことになります。ひどい場合は良い子というだけで、大人の言うことばかり聞くつまらない奴扱いされてしまうことすらあり、どちらかといえば良い子のカテゴリーにいると自覚していた身からすると居心地の悪さを覚えることもありました。

「ツバメ号とアマゾン号」にはジョンとスーザンのような「良い子」にもきちんと見せ場が用意されています。「それでよし」と認められているような気持ちになれたことが、この作品を好きになった理由のひとつだと思っています。

(2020.4.19更新)

»ツバメ号とアマゾン号 その2

»ツバメ号とアマゾン号 その3

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