長くなってしまいましたので2回に分けました。
物語の中心となるのは冬休みを過ごすために都会からやってきたおさげのドロシアとメガネをかけたディックという姉弟です。ふたりはツバメ号とアマゾン号のクルーと出会い、結氷した湖の北端をソリで目指す「北極探検」に参加することになります。
お話を面白くさせるために新しいメンバーを加えることはシリーズ物の定番であり歓迎すべきことではあります。しかし初めてこの作品を読んだ時は少しばかり切ない気持ちになってしまいました。
「わかった、わかった。」と、赤い帽子はいった。「ディックとドロシアね。でも、職業は? つまり、ほんとうの生活ではなにをしてるの? わたしたちは、探検家と船乗りよ。」
「ディックは天文学者。」と、ドロシアがすぐにいった。
「ドロシアは物語を書く。」とディックがいった。
そう、文字通り同じ釜の飯を食っている団結力の高い体育会系のグループに文化系が混ざってしまうような居心地の悪さを感じてしまったのです。
おまけに都会育ちのDきょうだいにはアウトドアの知識もあまりありません。
「たき火をしましょうか?」と、ドロシアがいった。「たきぎがすこしあるし、新聞紙もたくさんもってきたのよ。」
「新聞紙!」スーザンとペギイは目をまるくしてドロシアを見た。新聞紙! たき火をするのに!
このように都会育ちの子にとっての常識が冒険慣れしている子たちに「そんなことしたらせっかくの楽しみが台無し!」的に捉えられてしまう描写がしばしば出てきます。
あからさまに否定されるようなことはないのですが、自分がその場にいてももたもたして、彼らと共に楽しく遊べるレベルではないことに失望されてしまうような気持ちになってしまったわけです。
この作品を最初に読んだ時は新メンバーのドロシアとディックに関心の多くが向いていたのですが、今回印象に残ったのはナンシイ不在の穴を埋めてなんとか北極探検を成功させようとする妹のペギイの奮闘ぶりでした。しかし口癖まで真似てがんばってみてもなかなか姉のようにはことが運べません。
「いくぞ、野郎ども。」と、ペギイがいった。「出発しよう。」
ペギイが、おどろきももの木を植えたり、野郎どもをよんだりすると、いつもちょっと変な感じだった。しかし、ペギイが病床によこたわっているナンシイの穴埋めをしようとつとめていることは、みんなにもよくわかっていた。ナンシイなら重要だと思うかもしれないなにかをわすれたらと、ペギイがたえず心をなやましていることも、みんなが知っていた。
大人の読者としては前任者が急にいなくなったプロジェクトを任されてしまった中間管理職を見ているような気分になり、身につまされてしまいました。
自分たちを探検隊や海賊などになぞらえるごっこ遊び、ロールプレイングはこのシリーズの根幹です。
またその遊びの中では、たとえば年長者のジョンは責任を持って妹や弟を守る、最年少のロジャはみんなと一緒に行動させてもらえるように一定の命令には従うなど、それぞれの立ち位置となすべきことが確立されています。
新しく参加したグループの中でドロシアとディックはどのようなポジションを得ていくのか。また、ペギイは自らに課したいつもとは異なる立場でどう行動していくのか。
そうした点に注目しながら読むと、当時とはまた違った面白さが感じられました。
自分が子どもの頃には携帯もなければましてやLINEのようなアプリもありませんでした。さすがに電話くらいはありましたが大抵は居間かその近くに置かれていて誰かと通話している様子は家族に筒抜けです。
特別な秘密を隠し持っていたわけではなくても、当時の自分にとって家族は土人の位置にあり、友達とどんな内容でつながっているのかを察せられるのは嫌でした。
物語に出てきた通信手段に憧れ、掲載されていた手旗信号のイラストを見て覚えようと思ったのも無理からぬことです。