長くなってしまいましたので2回に分けました。
昔はこの「海里」やら「リュー」やら「マイル」といった表記の違いに困惑し、もしかして題名だけをパクった偽物が出回っているのだろうかと疑ったりしたものでした。
今回改めて調べてみて、なぜ単位違いのタイトルが出てきたのかがわかりました。以下、Wikipediaの「リーグ(単位)」の項目からです。
フランス語ではリュー(フランス語:lieue) と言い、いくつかの変種があるが、1795年のメートル法制定以前の旧リュー ≒ 4.444キロメートル、制定後の新リュー = 4キロメートルが一般的である。
日本では『海底二万里』という題名で知られているジュール・ヴェルヌの小説は、原題では“Vingt Mille Lieues Sous Les Mers”(海底二万リュー)であった。英語でも“Twenty Thousand Leagues Under the Sea”(海底二万リーグ)と直訳された。日本では、リューやリーグという単位になじみがないことから当初は『海底六万哩(マイル)』と単位を換算して訳されたが、これと原題とが混同されて『海底二万マイル』という題名で広まってしまった。『海底二万里』と意訳されたものもあるが、これは日本の里とリューがほぼ同じ距離であり、語感も似ているために採られたものである。
原題の「海底二万リュー」をキロメートルで表すと「海底8万キロ」です。他方「海底二万海里」だと「海底3万7000キロ」、「海底2万マイル」だと「海底3万2000キロ」と半分以下にしかならないことがわかりました。
また「二万」という数値については潜水艦の話だし海の深さを表しているんだろうと漠然と思い続けてきました。しかし地球の直径が約1万2700kmなので深さのわけがありません。「二万(80,000km)」はノーチラス号で海底を旅した距離だったことをこの歳にして初めて認識しました。
物語の終盤、国籍不明の戦艦から攻撃を受けたネモ艦長は相手を撃沈しようとします。それは敵船に乗っている全ての人間を殺すことを意味しており、思いとどまらせようとしたアロナックス教授の説得も強い言葉で否定されてしまいます。
「わたしは権利があるのだ、わたしが正義なのだ! 圧政をうけているのはわたしで、あそこにいるやつこそ圧政者なのだ! わたしが愛し、いつくしみ、崇拝していたすべてのもの、祖国、妻、子ども、父、母、すべてが滅んだのは、あいつのためなのだ! わたしの憎しみのすべてがあそこにある! あなたはだまっていてください」
かなり気になる発言ですが、物語の語り手である教授はこの時の騒動に紛れてコンセーユ、ネッド・ランドと共に潜水艦から脱出してしまうので、事の真相が読者に明かされることはありません。
中学生になってからは「八十日間世界一周」を読みました。文庫本でした。
進学したばかりの当時は文庫本は大人が読む物という意識があり、難しそうな気もしてなかなか手が出せないでいました。ただ中学生にもなって児童書でもなかろうという思いもあり挑戦してみたのが「八十日間世界一周」だったのです。「海底二万海里」より娯楽色が強く、読みやすかったと記憶しています。
おかげで文庫本に対する苦手意識はなくなりたくさんの作品に触れられるようになりました。
「海底二万海里」には「神秘の島」という続編があり、そこでネモ艦長の正体が明かされるそうです。あとがきに書かれていた情報ですが、当時はあとがきを読む習慣がなっかたので知りませんでした。
そのうち読んでみたいと思っています。