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昔読んだ児童書をもう一度読んで感想文を書いてみる、個人の企画サイトです。

記録なんでも日本一

起田順一郎・間 羊太郎 編
生頼範義・杉尾輝利・たかはしきよし 絵
講談社 昭和47年12月26日 第1刷発行
昭和48年4月8日 第3刷発行

記録なんでも日本一
イラスト:あみあきひこ

友人から借りてきた
1ヶ月の内で発する言葉がスーパーのレジでの「袋いらないです」だけということがざらにある自分にも友人はいます。出会いは小学校に入学した時ですので、単純に年数で比較するのであれば親より長い付き合いだということに最近気づきました。

その友人から借りてきた「記録なんでも日本一」は「トム=ソーヤーの冒険」や「猛獣いけどり作戦」と同じ少年少女講談社文庫の中の一冊です。人間の身長に始まり、動植物や建造物、スポーツの記録など当時の日本一がこれでもかと紹介されています。

以前感想文を書いた「世界びっくり情報」の日本版のようなものではあるものの、全体のイメージとしてはこちらの方が陰気な感じがします。
「世界びっくり情報」のイラストがコミック風で2色カラーが中心であるのに対し「記録なんでも日本一」のイラストはリアル路線でモノクロのみというのが最大の原因かもしれません。


技術の進歩
この本が書かれた時代から日本をはじめとする世の中の技術はどれだけ進歩したのか。現在の視点で読んで一番面白く感じたのはそこでした。

小さい電子計算機
シャープが、一九七一年一月に発売した「エルシー8」は、たて十九センチ、よこ十七センチで日本最小。これをつかうと、八けたの割り算でも、二秒でできる!

エルシー8の価格は84,800円でした。今の大卒の初任給は1971年当時の4.6倍らしいので、単純にその比率で計算してみると現代の価格では390,000円となりました。企業かよほどの新し物好きでなければ手を出さなかったでしょう。
もっとも翌1972年には12,800円で発売されたカシオミニが大ヒットし、それから10年もしないうちに四則演算ができればそれで十分といったような電卓は子どものおこづかいでも買えるくらいになっていた記憶があります。

こうしたギャップを感じられる記事にぶつかると、当時の自分やクラスメイトたちにスマホを見せてその反応を見てみたくなります。


見世物小屋
「記録なんでも日本一」は友人から借りて家で読んだというよりは、クラスで仲間と拾い読みしてワイワイと楽しんだ本でした。授業と関係ないマンガなどを学校に持ってくるのは禁止されていましたが文字が中心の本ならばOKという子どもの屁理屈は大目に見てもらえていました。
「これは勉強の役に立つから!」という子ども理論で学級文庫に並べられて人気を誇っていた学習漫画なども見逃してもらっていた類の本です。

先に触れた通り「記録なんでも日本一」の挿絵はリアル寄りで、小学生にとっては恐ろしく感じられたりもしました。
「眠らない記録日本一」という項目に使われているイラストは血走った目をした男性のアップで、その絵を見たくないと女子が逃げ回っていた光景を覚えています。

「目が三つのおばけネコ」という記事も人気がありました。

人間にも、ときどき奇形児が生まれるが、横浜市中区新山下町のある倉庫にすみついていた野らネコは、目が三つで口が二つあるというおばけネコを産んだ。(後略)

これのどこが日本一なのだということはさておき、リアルな三つ目ネコのイラストにはぞっとさせられたものでした。
見世物小屋を覗くような、子どもの怖いもの見たさの欲求を満たしてくれる記事がこの本にはちょくちょく挟まれていて、そこが魅力でもあったと思います。


筆者について
「記録なんでも日本一」の初版は1972年です。
調べてみると竹内書店という出版社から1967年に「これが日本一 記録がなんでもわかる本」、1971年に「記録の百科事典 日本一編」という本が起田順一郎と間 羊太郎共編という形で出ていたことがわかりました。おそらくはこれらをベースとして子ども向けにアレンジしたものがこの本なのでしょう。

筆者のひとりである間羊太郎は他のペンネームで幅広く活動をしていました。
SF小説作家の式貴士、官能小説作家の蘭光生、どちらの作家の作品も読んだことがあったのですが間羊太郎と同一人物だったと知れたことが今回の最大の収穫でした。

(2021.10.2更新)

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